SEISA DOHTO UNIVERSITY

美術学部 建築学科

2024.06.24 建築装飾について考えてみる?6/22 オープンキャンパスの模擬授業紹介?
美術学部 建築学科

6月22日(土)にオープンキャンパスがありました。
そのうちの模擬授業のひとつ、「描いてみよう?美しい紋様?装飾デザイン?について少しご紹介するとともに、
少しだけ「装飾」について触れてみようと思います。

まず模擬授業では、時間も限られているため、コンパスだけを使って、不思議に複雑そうに見える文様を手描きしてもらっています。
コンパスは、小学校以来、使ったことがないです!という方が多いので、少し新鮮かもしれません。
最初は、たいていうまくコンパスを回せず中心の針がずれてしまったりするのですが、何度も描いているうちに
上手になっていきます。
時間があれば、ペンで仕上げもやっていきます。



<建築装飾について少しおはなしします>

19世紀末から始まったたくさんの美術運動を経て、20世紀に入り、いわゆる「モダニズム」という
潮流が生まれました。建築のデザインは、インターナショナルスタイルと呼ばれる白く装飾のないシンプルな外観を持つものが
主流となり、それまで長い時代の中で建築の部分として重要な役割を果たしてきた「装飾」というものが排除されるようになりました。
その反動として、70?80年代を中心として、「ポスト?モダニズム」があり、そこでは部分的に装飾が復興しましたが、今また
建築装飾というものがそれほど重要視されない時代になっています。

しかし、「装飾」は、建築を「飾る」ための余計な部分などではなく、
古くから人間の生活の中に非常に深く関わっているものです。
最もシンプルな装飾の一つと言えますが、例えば人間が生まれる時、死する時、あるいは出産や結婚、入学や卒業などの
「祝祭」の場では、花を飾りますね。これは装飾の原始的なものだと思いませんか。
このような祈りの表現として、装飾する ということは自然なことであり、世界の多くの国でも見られるであろう
共通の習わしだと思います。

1908年の「装飾と犯罪」(” Ornament und Verbrechen”)の宣言は大変有名なのですが、
これを唱えた建築家アドルフ?ロースは、文字通り、
装飾は犯罪である
、とまで言ったと知られていますが、その中でさえ、次のように述べています。

 ”自分の顔を飾り立てたい、そして自分の身の回りのもの全てに装飾を施したい。そうした衝動こそ
 造形芸術の起源である。それは美術の稚拙な表現だともいえよう。”(『装飾と犯罪』中央公論美術出版, 伊藤哲夫訳より)



しかしながら、ロースは、それに続く宣言の中で、なぜ現代(ロースの生きていた当時)において、装飾が罪なのか、と
続けています。これはとても興味深く面白いので、気になる人はこの本を一読されるのも良いと思います。

さて、一方で、現在も建築装飾の意味を保ち続けているものの一つには、イスラム建築における
装飾だと思います。イスラム建築においては、(実はキリスト教もですが)神の姿を直接描くことは禁止されています。
そして非常にざっくり言えば、神の姿を描く代わりに、幾何学形態などの文様を神の代わりとして、様々なところに描いています。
イスラム寺院(モスク)には、単なる飾りとしてではなく、神を表現したものとして非常に精密で多様な抽象幾何学文様が施されています。
また、神の言葉としてアラビア文字のカリグラフィが用いられます。
この二つのデザインの視覚構造は、イスラム建築における非常に重要で神聖な側面です。



とてもざっくりと書きましたが、建築を考える上で、またデザインをいうものを考える上で、
「装飾」というものは、とても大事な要素だと私は考えています。

現在は、コンピュータでなんでも描ける時代です。
例えば楕円なども、手で書くのは困難とされていますが、コンピュータを使えばすぐに描けます。

本学で1年生向けに行っている「図学」(建築学科?デザイン学科)の授業では、
「装飾」というものをバックテーマとして、 まずは、「手」で様々なものを描いてみよう、という取り組みをしています。
コンパスを使って初心に戻り、描いてみる。
これが意外と楽しいのです。
そんな授業のエッセンスを盛り込んで、オープンキャンパスの模擬授業で行っています。
もし興味のある方は、ぜひ体験をしにいらしてください。

建築学科教員 赤木 良子